死にかた
名古屋市に住む木挽き職人の男(47歳)は、1月3日、五時頃「正月の屠蘇を飲み過ぎた」と上機嫌でやって来た。
風呂の中で大声を上げて「めでためでたの若松さまよぉ」などと歌いまくっていたが、
声がぱったりと途絶え、静かになったのを不審に思って主人が覗きに行ったところ、
湯舟の中で死んでいた。
(明治32年1月3日・京華日報)
東京練馬のサラリーマン(30歳)は最近ノイローゼ気味のため、
1月8日、上司に付き添われて実家の熊本に一時帰省する予定だった。
一度、全日空 羽田発 熊本行きボーイング機に搭乗して座席に着いたが、
突然「死にたい」と云って飛行機のドアから地上に飛び降り、そのまま約二百メートル走って、
停止寸前の日本航空 札幌発 羽田着のジャンボ機の車輪めがけて身をおどらせた。
サラリーマンは車輪の下敷きになり、即死した。
(平成4年1月9日・サンケイ新聞)
宮崎県青島村の村社熊一(52歳)はその日、かねての知り合いの生魚触れ売り商の男から、
飯行李に入れた品を暫く預かってくれと頼まれた。
中を見るとイリヌカに混ぜて何十本もの小指大の飴が入っていた。
そこで男は傍らに居た娘に一本御馳走になれと勧めたが、娘は食べた後で男に何か云われるのは嫌だからと断り、
「じゃ、俺が御馳走になろう」と一本食べたところで轟音が轟き、
熊一は身体が半分になって吹っ飛んでいた。
宮崎警察署の調べによるとこの飴は、実は狸や狐を退治する時に使う爆薬であった。