と殺場のようなミイラ工場
ミイラは、エジプト人にとっては、霊魂の帰ってくる大切なものであったから、誰もがお金をかけて造った。
だが、金持ちや貴族のように大金を払えない人たちは、安いやり方で造ってもらうしか無かった。
そのありさまは、見るだけで、身の毛がよだつような、凄さだった。
まるで肉屋が、と殺場で殺した動物を扱うように、らんぼうなものであった(原文ママ)。
天井からずらりと、かぎに引っ掛けてぶら下げ、いっぺんにたくさんの屍体をミイラに造りあげた。
いわば大量生産のオートメーション工場のようなやり方をしていた。
ミイラ工場の様子はというと、二十個の水槽がずらりと並び、その一つ一つにソーダの液が満たされ、
中に五人ずつの屍体が投げ込まれている。
屍体は一日に一回、となりの水槽に移され、三十日で三十個の水槽につけられて引き上げられる。
それから、水分を乾かして家族の者に渡されて、共同墓地に埋められるのだ。
(【ミイラ大百科】より)
※このように、昔は「と殺場」が大変な誤解を受けていた訳です。
個人的には、「屠殺場」だろうが「屠畜場」だろうが、そこに従事する人々に対して、
偏見の眼で見たことはありません。
いつまでも、おいしいお肉が食べたいです。