手塚治虫の複眼魔人と松本零士




手塚治虫談「とにかく、この「旋風Z」をかいていたころのぼくは、


編集者にとって、悪魔であり、不逞の輩であり、天下一のペテン師であり、


指名手配、前科十三犯、住所不定の流れ者だったわけであります。


A社の編集長、S社の編集者など、ぼくを「ウソ虫」「オソ虫」


「猿飛佐助」などと呼んでいたのであります(ともに、今は重役。歳月の流れを感じます。ああ)。


当時、ぼくの担当者は?手塚番?などと呼ばれ、毎月締め切り近くなると、


一日じゅう順番のことで骨肉相はむ争いを起こしていたのであります。


そして、ある日、ぼくは忽然と汽車と飛行機を使って、九州へドロンしてしまったのです。


怒髪天をついた編集者のみなさんは、ぼくを見つけだして首をしめるべく、


大挙、九州へ追ってきたのであります。


そのとき、福岡の旅館で、ヒイヒイいいながらかいたのが、


火の鳥」(少女クラブ)とか、「ライオンブックス 複眼魔人」(おもしろブック)とか、


この「旋風Z」の一部だったのです。


そして、急拠手伝ってもらったのが、当時まだ学生だった九州在の松本零士氏とか、


高井研一郎氏だったというわけです。


松本氏なぞには、おまけにできた原稿を空港まで出しに行くという重労働まで、


押しつけてしまったのであります。




【複眼魔人】といえば、女性の下半身(脚)の描写をめぐって、


一部のデパートが不買運動をしたり、


PTAが手塚治虫の本を“悪書”として焚書にしたりと、


およそ近代文化国家とは思えない仕打ちがされた訳ですが、


この【複眼魔人】のアシスタントをされたのが、松本零士氏なのでした。


ことによると、脚線美あふれる女性の描写は…………。