死にかた 其の弐
闇金融会社・光クラブの社長で、東大法学部三年生の山崎晃嗣(27歳)が、
東京銀座の同社社長室で青酸カリを飲んで自殺した。
山崎は前年9月、中野区鍋屋横町に学生仲間と光クラブを開業。
東大生社長と、日本唯一の合理的金融会社という謳い文句が脚光を浴びて、時代の寵児となった。
1月には銀座に進出し、社員も30人を越えた。
しかし7月、闇金融の疑いで、京橋著の手入れを受けたのを境に信用ががた落ちし、債権者からの取り立てが殺到。
25日にも三百万円支払わなければならなかったが、その金がまとまらず自殺したもの。
(昭和24年11月26日付・朝日新聞)
大阪のタクシー運転手(32歳)は、夕方六時頃、ふらふらになっている女性を乗せた。
女性は「真っ直ぐ行って」と運転手に告げた後、座席に横になり眠ってしまったので、
何処かのバーのホステスが酒に酔って眠っているのだろうと思い、そのまま大阪方面へ走った。
その内、自分も眠くなったので女を乗せたまま路上に車を停め眠ってしまった。
朝4時になって目が醒め、女を揺り動かしたが起きないため、一度タクシー会社に戻って売上金を精算し、
それからまた女性を乗せて出発し、勤務明けの午前九時頃になって初めて女性の顔色が悪いのに気付いたと云う。
そのまま運転手は守口署に駆け込んだが、既に女性は死亡しており、ハンドバックの中には睡眠薬の空き瓶が2本入っていた。
自殺した女性は20歳、大阪市内に住む看護婦だった。
(昭和45年1月31日付・読売新聞)
大阪、箕面市で、酒を飲んだ上トラックの前に「わしを轢いてくれ」と飛び込んだ上方落語の林家小染(36歳)が、
脳挫傷で意識不明のまま死亡した。
小染は普段から酒好きで、泥酔して高座にのぼり問題になった事があるが、
29日、酒を飲んだ挙句、いきなり道路に飛び出して車同士の追突事故の原因を作った。
この際、事故車の運転手が「急に飛び出したら危ないじゃないか」と注意したところ、
「死にたい、わしを轢いてくれ」と口走り、
直後、走って来たトラックの前に身を投げ、はねられた。
(昭和59年2月1日付・中日新聞)
大阪の演芸場で客前にリハーサルしてると、誰も居ない筈の客席に小染さんがぼーっと立ってるんです。
「あ、小染さん」と思うと、その瞬間、「かなんなぁ」と呟いて消えてくんですよ。