われわれの中の怪物

hanoyshang2006-03-08

多くの人は、自分は加害者になれないと思いながら、他人の被害を見るのは平気であり、むしろ熱心に見たがる。


我々の祖先を喜ばせた公開処刑の風習は、今ではかなりすたれたが、墜落飛行機のバラバラ死体の見物には、


周囲何キロメートルもの遠方から多数の野次馬が押し寄せる。


アメリカのタブロイド紙「ナショナル・エンクワイアラー」の編集者は、この辺の大衆心理を良くわきまえ、


どんな陰惨な事件も第1面にデカデカと掲載するので、同紙は良く売れるのである。


「何て恐ろしいことだ!」と読者が慨嘆しても、一体彼らは本心からそう思っているのだろうか?


その記事には、何かひそやかに読者を魅するものがあるのではないか?


暴力を扱った映画の予告編では、その暴力場面だけを集めたものが多いという事実は興味をひく。


残虐性はその種の映画の最も魅力的な部分だとされるが、この製作態度はおおむね市場調査の結果に基づいている。


自殺したい人が高い建物の縁で躊躇っていると、必ず好奇心を持って大群衆が集まるものだ。


しかも少数の野次馬が、「飛べ!飛べ!」とけしかける例も多い。


(人間はもっと怖い)



みんな、心の中に怪物を飼っているのです。


(写真はKKKのリンチで殺された黒人を晒しものにして喜ぶ南部のアメリカ人たち)