宮沢賢治『よだかの星』
よだかは、実にみにくい鳥です。
顔は、ところどころ、味噌(みそ)をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
足は、まるでよぼよぼで、一間(いっけん)とも歩けません。
ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合(ぐあい)でした。
たとえば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思っていましたので、
夕方など、よだかにあうと、さもさもいやそうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっ方(ぽ)へ向けるのでした。
もっとちいさなおしゃべりの鳥などは、いつでもよだかのまっこうから悪口をしました。
「ヘン。又(また)出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんとうに、鳥の仲間のつらよごしだよ。」
「ね、まあ、あのくちのおおきいことさ。きっと、かえるの親類か何かなんだよ。」
こんな調子です。おお、よだかでないただのたかならば、こんな生(なま)はんかのちいさい鳥は、
もう名前を聞いただけでも、ぶるぶるふるえて、顔色を変えて、からだをちぢめて、木の葉のかげにでもかくれたでしょう。
ところがよだかは、ほんとうは鷹(たか)の兄弟でも親類でもありませんでした。
かえって、よだかは、あの美しいかわせみや、鳥の中の宝石のような蜂(はち)すずめの兄さんでした。
蜂すずめは花の蜜(みつ)をたべ、かわせみはお魚を食べ、夜だかは羽虫をとってたべるのでした。
それによだかには、するどい爪もするどいくちばしもありませんでしたから、どんなに弱い鳥でも、
よだかをこわがる筈はなかったのです。
(つづきは、『貝の火』同様、ライブラリーでどうぞ)
虐げられ疎まれ続けた「醜い鳥」よだかでも、生きるために、蟲を口一杯喰い続けなければなりません。
しかし他者の命を奪って生きていくことに疑問を抱いたよだかは、到頭、ある決意をします。
CX『NONFIX』で放送されたドキュメンタリー作品『1999年のよだかの星』は、宮沢賢治『よだかの星』のテーマを、
動物実験をすることで医療や薬、化粧品といった技術の恩恵を得ることが出来る我々の罪とを絡めて描いています。
既に7年近く前のこのドキュメンタリーに、不治の病である筋ジストロフィーに侵された少年が登場していましたが、
彼は今、何処で何をしているのでしょう。