列車事故追悼企画

hanoyshang2006-04-23

「さあ、これで今日の仕事は終わりだぞ……」


常磐線の最終電車を運転していた運転手が、そうつぶやきながら、闇の中に、電車のライトに浮かぶ、


レール、信号灯に細かい神経をつかって電車を走らせていました。


その時です。前方に人間の姿を見た様な気がした運転手は、思わず目をこらしていました。そして思わず、


「あっ!!」


と声を立てるところでした。


前方に血まみれになって、レールの上をのたうつ男がいるではありませんか。


思わずブレーキに手をかけようとした時、その血まみれの男が、苦痛にのたうち、


うらめしそうに運転手を見上げながら、何か口を動かし、すーっと消えていったのです。


それは一瞬の出来事でしたが、運転手の脳裏には、はっきりと刻み込まれていました。


ぞーっとした運転手の計器を持つ手が、ジワッと汗ばみ、額には脂汗がジッとりと浮いていました。


気を取り直した運転手は、そのまま電車を進行させていきました。


五月三日の夜の出来事です。


電車の運転を終えて、控え室に引き上げた運転手は、同僚に先程の男の話をしたのです。すると同僚は、


「今日は五月三日だ。すると現場は三河島じゃなかったのか」


「そうだが何か?」


三河島だとすると、三河島事故現場だ。あの三河島事故から十一年も経ったのに、未だに身元の判らない独りの男性がいるんだ。


事故当時、遺体の収容を終わった時、誰の物か判らぬ手足が出てきて、どうしても身元が確認出来ず、


その遺体を『遺体番号88』として、モンタージュ写真をとってある筈だよ」


「そうすると、俺はその男の幽霊を見た訳なのか。そう云えば血まみれになってレールの上をのたうち回り、うらめしそうに俺を見ていた。


今でもはっきりとその顔を思い出せる。仏も引き取り手が無くて、成仏出来ないんだろう、気の毒に」



翌日、記録に取ってある新聞を取り出して見たその運転手は、モンタージュ写真の載った記事を見て、


「この男だ、私が見た三河島事故現場での男は、確かにこの男でした」



非番になった運転手さんは、花と線香を持って三河島の事故現場へ行き、花を供え線香に火をつけておくと、


静かに手を合わせて冥福を心から祈ったのでした。


この『三河島事故』とは、昭和三十八年五月三日、常磐線三河島駅で三重衝突を起こし、死者百六十名を出した事件でした。


(こわい怪談画報【遺体番号88】)